開祖道元禅師について

clip_image002ミニ知識 全久院報に毎回仏教や、曹洞宗、座禅など住職が学んだことを特集しようと思います。今回は曹洞宗の開祖道元禅師についてのミニ知識です。

生誕 1200年1月26日誕生

父 久我通親 母九条基房の娘・伊子の説が有 力。(一説には木曽義仲の嫁とも言われている)

8才までに両親を失う

得度 13才 比叡山横川般若谷千光房にて

修行 15才 栄西(臨済宗の開祖)につく

疑団 「本来本法性 天然自性心」本来より人 は皆悟りの中に居るというのに、どうして修行しなくてはいけないのか、という疑問を持ち激しい修行をされたと言われている。

中国へ 24才明全和尚と宗に渡る。阿育王山の老典座 倭揕(わしん)との問答が有名。

道元「あなたはお年だが、座禅弁道し、公案祖録などみたら。どうして典座職で専心苦役するのか。何かよい功徳でもおありか」、倭揕「外国の好人未だ弁道を了得せず、未だ文字を知得せざること在り」、道元「如何にあらんか是れ文字、如何にあらんか是れ弁道」、倭揕「若し問処を蹉過せずんば、豈其の人に非やざらんや。若し未だ了得せずんば,他時後日育王山に到れ、一番文字の道理を商量し去ること在らん。日晏れ了ん忙ぎ去なん」、道元「真の道人なることを」

日々の生活が、悟りの生活と理解した。その後中国での修行に激しさが加わった。

道如(官人富貴の出身だが極貧での修行に甘んじてる)より、「学道は先すべからく貧を学すべし」との教示を受ける。

西川出身の僧侶より、文字知識ではなく、人格完成が根源と習う。

隣単(座禅堂内の隣の座で修行する)の僧侶「大哉解脱服、無相福田衣(袈裟を着ける時のお経)・・・・」に感動、仏法の大認は清規(修行中の規則のこと)の実践と知る。

など諸山を歴遊し多くの教示を受けた。

天童山へ 26才生涯の師と仰ぐ如浄(天童如浄)禅師につく。当時中国で1番の厳しい禅者だった。1226年9月18日如浄禅師より菩薩戒を受け、正式な弟子・出家者と認められた。1227年厳しい修行を経て、身心脱落の体験があった。身心脱落とは曹洞宗の座禅では最高の境地を意味し、身と心が一体になってひたすら座禅をする境地を意味しています。如浄禅師より印可を受け、日本への帰国を決意し、28才で帰国した。

{帰国後の道元禅師は次号へ}

平成16年6月号より