馬頭観音様

山門の手前の左側に、小さな祠があります。総代長を御勤めいただいている松尾様のご先祖さまが寄進してくださった、馬頭観音様の祠です。

clip_image002馬頭観音とは「馬の頭をもつもの」という意味のサンスクリット語で、インドの神話にその起源が描かれています。「昔2人の悪魔がインドの最古の聖典(ヴェーダ)を盗んだ。梵天はヴィシュヌに取り戻すように要請した。ヴィシュヌは馬の頭に変身し、東北の海中に入ってこれを奪還した」というのが馬頭観音さまの起源といわれています。ですから馬頭観音は天馬のように縦横無尽に駆け巡り、あらゆる障害を乗り越え目的を達成する観音さまということになります。自らの解脱を求めず、衆生を救済するとの請願をたて、悪と戦い駆逐し、衆生の苦悩を断ち切ることを使命としました。そこで人々は、馬が牧草を飽くことなく食べるように、人々の煩悩(迷い)を食い尽し、迷い苦しむ衆生を救済する観音様として信仰しました。

しかし、馬頭観音を説く教典は少なく、中国では7世紀中ごろ翻訳された経典に初めて登場しました。その姿は頭上に馬頭をおき、眉間に第三の目が縦につき、顔が3面あり、2・4・8の臂(3面8臂が多い)を持つ、威怒王(怒り)の姿をしています。二つの手は印を組むか合掌をしており、他の手に棒・法輪・数珠・宝剣・えっ斧を持っています。この怒りの姿で手ごわい煩悩を駆逐するのです。全久院の馬頭観音さまは3面8臂で、頭上に馬頭が彫られ、柔和なお顔をしています。

clip_image004日本では奈良の西大寺が最初の造像を行いましたが、寺の仏像の数は大変少なく、西国三十三霊場でも二十九番の丹後松尾寺にのみ像が奉られています。しかし庶民の間には農村の路傍に立てられた石仏として、畜類の守り仏や旅行の守り仏となり日本中に信仰が広まりました。縦横無尽に駆け巡り、あらゆる障害を乗り越え目的を達成し、自らの解脱を求めず、衆生を救済するために、悪と戦い駆逐し、衆生の苦悩を断ち切る生き方をしたい、そんな生き方をしている人と共にいたい、そんな人に救ってもらいたいという当時の人々の思いが込められた観音様です。