十一面観音様 続き

前号に続き十一面観音様の紹介をいたします。観音様は紀元前後に人々の苦悩を救うということで大乗仏教運動とともに広まりました。片手に花、それをつまむようにもう片手という姿です。全久院の観音様は十一面観音。花とともに頭に十一面のお顔があります。

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十一面観音様の成立はインドのインダス川上流のギルギット出土の梵本に「エーカーダシャ・ムカ」、「11の顔を持つもの」との文書があり、また 「法華経」の普門品に「あらゆる方向を向くもの」の語があり、これが起源と考えられています。あらゆる方向つまり十方を向く顔と自分の顔を入れて11面のお顔で、すべての苦悩を持つ人々を見つけ、救済の手を差し伸べる仏様として信仰を集めました。中国では北周(557〜581)に十一面観音に関する経が訳され、信仰が広まりました。日本では8世紀初頭の白鳳時代、紀伊那智山から出土した金銅十一面観音像と、法隆寺金堂の壁画阿弥陀浄土図の十一面観音が最古のものとされていますので、このころ観音信仰が始まったと考えられます。平安時代戦乱による戦没者の慰霊法要を行い、六道に輪廻して苦しむ人を救済する六観音信仰として広まりました。聖観音は地獄道、千手観音は餓鬼道、馬頭観音は畜生道、十一面観音は阿修羅道、准胝観音は人道、如意輪観音は天道に輪廻し苦悩する人を救います。ですから全久院の十一面観音様は阿修羅のように突っ走り、周りが見えなくなり、自分のことばかりに苦悩する私たちを救ってくださる観音様ということになります。

十一面観音様の3面は怒りの相、3面は寂静の相、3面は菩薩の表情で牙をむき出す相、1面は笑怒相、そして正面のお顔ということになります。悪い心を払いのけ、苦悩を受け入れ、安らぎを与え、微笑を取り戻す役を務めます。日本では特に難を除き、富を与え、異性とめぐり会わせ、身分高める現世利益の仏様として信仰を集めるようになりました。特にご利益を与えてくださる日として室町時代には毎月18日が観音の縁日として広まりました。また7月10日を、四万六千日、九万八千日、九万九千日といわれ、この日のお参りは1000日・46000日に当たるとされ、特にご利益がある日という信仰も広まりました。江戸享保年間(1716〜1736)には、特に四万六千日の信仰が広まりました。4万6千は1升の米粒が46000、46000は一生の意味、信心の完成は46000日必要、などの考えが底にあったようです。

現在も観音札所巡りが盛んですが、平安時代末期に複数の観音霊場を巡礼する風習が生まれ、十世紀、花山法皇(986〜1008)が西国三十三観音霊場巡礼を始めました。15世紀末ころには東国からも東海道を経由し、伊勢神社から、那智山、紀伊→京都→若狭→美濃の順路での巡礼が盛んになりました。源頼朝をはじめ一族の観音信仰が14世紀には庶民にも浸透し、15世紀には坂東三十三霊場が定められました。